2023/10/10
言葉の側面
受験はもれなくどの教科も言語を使うことが前提なっているように思われます。
しかしながら言葉は身近かつ当たり前すぎて勉強しようという気が起こらないものです。
しかしこの”言葉”そのものに疑いの目を差し向け、どんな原則や作用があるか見つけ出し、適用してみることで、”言葉”に強くなろうという試みです。
例えば英語を取ってみても、意味=訳(つまり情報)を学びます。また文法も解読のためのマニュアルとして叩き込もうという試みをします。
makeは作る、onは上に、thereはあそこで、など。
しかし厳密には、I make you happy.になると作るではなく、させるという意味になるし、させる自体は意味をなしていないので、make 〇 happy で幸せにさせるになるのです。
There is a book on my desk. というのを「あそこでは本の上に机です」という訳に忠実な答え方をしてくれた生徒を思い出します。「机の上に本がある」というのが一般的な答えです。
何とも現場を、実情を知らない人間が理屈だけで導き出した筋の通った答えという感じですね。
実は言葉というのはそれぞれに意味があるようで(無論、核となるニュアンスはあるが)それは実際の現場での使われ方の中で意味を表してくるにすぎないというものではないでしょうか。
英語をするうえで、英単語を覚えて、文法を学べば読み解けるという単純な学習法が確立されていますが、僕自身ができなかった時と今を比べて思うのは、それは必ずしも本質ではないということです。
それよりも、単語一つ覚えたいなら、いくつかのよく使われる例文の中でどんな使われ方をしているか、実際に自分で経験するという立場をとってほしいものです。
また文法もという概念も結局できるようになった側から用意された一方通行の近道な気がしてなりません。体系化された項目を段階を踏めべできるのかといえば、そうではなく、結局どうしても本文に触れる中で自分で体系を構築していく時間が必要だったことを思えば、むしろ時間の無駄でしかなかったと思うのです。
何が言いたいかというと、僕の持論は、結局文法も単語も本分の中で経験していくしかないということ。つまり情報収取とマニュアル叩き込みという機械的な近道はむしろ人間としては困難極める可能性が大いにあるということ。
言葉の持つ側面という話に戻れば、言葉は使い方でしかないので、自転車に乗る時と同じなのです。自転車の構造と人体学を勉強したところで結局乗れはしないのではないでしょうか。
とすれば学習の第一原則として、まず情報収取をやめるのです。理科も社会も、数学の公式という計算の手続きもやめることです。そして初めて出くわす言葉がどんな使われ方を持ち、どんな作用かを知ろうとすることです。
疑ってみれば、僕たちはあまりにも言葉を、触れずに使いすぎている。言葉に強くなる=勉強ができるようになるには、いかに勉強を体験できるかに尽きる。と信じたいのです。
このほうが覚えやすく、忘れにくく、思い出しやすい学習だと信じています。
また、もう一つの希望として、地道ではありますが、こうして実際の知識に触れていくような学習は今までよりかは楽しいとも信じています。