2024/05/14
縄文時代
学生の頃、歴史のはじめとして縄文時代から学びました。
土器を作り、交易をし、平等だった。アニミズム信仰を持っていた。と。
人に教える立場になってから少しでも覚えてもらえるように、興味を持ってもらえるように、研究して感じたことをつづってみようと思います。
初めて土器が見つかったのは大平山という青森県の遺跡で、なんとこれが16500年前。(中国で近年見つかったものが更新する可能性があるけど、)世界各地では古くとも9000年前や7000年前などで、これは世界でも群を抜いて古い土器。日本で派は10000年前のものが大量に発掘されている!
土器を作るってことは、粘土が器になるというある物質が火で便利グッズになる科学を初めて使った時代でもある。
煮るとか浸すっていう調理法は食べられるものが増えて餓死も大きく減った。
それは食料を探し求める必要がなくなり定住を達成した。定住ができれば、知識経験を持った老人が生き残る。孫に伝える。孫はそれを使って発明や発見をする。老いたらまた孫に伝える。
そうして縄文時代には人々はいろんな考え方を後世に、各地に伝えあっていた。
たった一つ、土器がこんなにもいろんな物語を伝えています。
関東地方では、例えば加曾利貝塚で東京ドーム3個分の貝塚が見つかってます。
他にもどんぐりやトチノ実の殻も一か所にまとめています。
人骨は丸めて埋めたり、赤ちゃんは土器に入れています。
動物の骨も丁寧に、狩ったであろう弓と重ねて丁寧に埋められていました。
これらはただのゴミ箱というには冷たい気がします。
縄文時代の遺跡には球体や円のようなものが多いのです。
それらと合わせて考えると、すべての恵みは循環している。と考えていたのかも入れません。
食べた物がまた生まれ変わって食べられるように、亡くなった赤ちゃんや人間が生まれ変わってまた暮らせるように、考えていたのかもしれません。
そういう自然=僕たちの利用物と考える傲慢な考え方ではない事こそが、自然崇拝だとすれば、これは未開の野蛮な考え方なんかじゃなくて、
むしろ僕は見習うべき心理を得た習慣だと感じました。
今日からごみを捨てる時は「また食べられますように」と祈りを込めながら、たけのこの里もポッキーも捨てようと思います。
縄文時代、なんていうと遠い昔のわけのわからない人たちの暮らしや出来事な気がして、意味も分からずつまらないと思っていましたが、その内容を知り、創造力さえ広げればこんなにもドラマにあふれて身近なものになるんだな、という印象を受けます。
縄文時代に限らず、どんな時代でもどんな教科でも。
僕たちは他の人が考えたことを鵜呑みにして、それを答えてさえいればいいと思っています。受験とはそういう風に仕向けられていますから。
ただ、そうやって何の価値もなく、興味もない知識が積もるだけで苦しい勉強に、
少しのわかりやすいたとえや、広がる物語を見ていく努力、見せる努力を怠らぬように授業にあたっていくことに努めていきたいものです。